最近、「きれいになりたいなー」と強く思います。
まあ、男の人でも「かっこよくありたい」って思うのは普通のことでしょうし、女の人が「きれになりたい」と思うのも普通だと思いますけど。
わたしは自分に自信がありません。
そんなの、誰でもそうかもしれませんが、
自分以外の人が心の中で何を思っているのかなんて実際のところわかるはずもないので、
ここでは敢えて自分本位に考えてみることにします。
そう、わたしは自分自身に「自信」がないんです。
周りのひとと自分を見比べては、「もっときれいになれたらいいのになー」とか「もっとスタイルが良ければいいのに」とか他人に憧れてばかりで、そんな自分が憎らしく思えてきます。
自分が周囲からどう思われているのか、そんなことばかり気にしている。
でも多分問題は、わたしの容姿がきれいだとかきれいじゃないとか、そんなレベルのことではないんでしょうね。
目とか鼻とか口とか輪郭とか、太ってるとか痩せているとか、髪がストレートか癖毛かとか、
そういうことではなくて、
もっと内面からにじみ出る“美しさ”こそが重要なのだろうと思いはじめました。
容姿における“美しさ”は、モデルさんとか女優さんとか、そういう人が「商品」として売り出しているもの。
そのレベルの“美しさ”を手に入れている人は、それもその人の能力なので、それを十分に発揮すべきだと思います。
でも、そこまでの“美しさ”なんて、ごく一部の人しか手に入れられない。
ほとんどの人は、モデルさんでも女優さんでもない、『一般的な人』です。
では、『一般的な人』はどうやったら“美しさ”を手に入れられるのか。
きっと、自分の信念を持って、自分らしく堂々と生きている人の姿こそが、“美しい”ものなんだと思います。
人と比べる必要なんてない、自分の生きる道をまっすぐ前を向いて歩いている人が、かっこいい。
そんな風にシャンとして生きている人を見ていると、顔立ちとかスタイルとかに関係なく
「あ、なんかきれいだな」とか「かっこいいな」とか、そう思える瞬間って必ずあるじゃないですか?
わたしが自分を憎らしく思うのは、他人と自分を比べてはどこかで劣る部分のある自分を見つけて自分を卑下する、
そういう自分がいることに対して、なんだと思います。
わたしと比べれば、きれいな人なんてきっと世の中に“ごまん”といるけど、
わたしは自分が選んできた道を精一杯やり通して、今まで生きてきた。
そんなに大それた人生ではなかったけど、それでも根性と気合で色んなことを乗り越えてきたし、
そんなわたしを認めてくれる人もたくさんいました。
自分が歩いてきた22年間の「道」があるのに、それは誇らしいことなのに、
自分と他人を比べて劣る部分があると下を向いてしまう、自分がみじめに思えてしまう、
そんな自分がいることを憎らしく思うんだと思います。
誰でも下を向いて生きていちゃ、“きれい”じゃない。
みじめな気持ちばっかり噛み締めていたら、“美しい”わけはないと思います。
他人が自分をどう思っているのか、そんなことばかりに気を取られるんじゃなくて、
自分が22年間歩んできた「道」を信じて、まっすぐ前を向いていたい。
そういう内面の“美しさ”を磨いていきたいなあと思います。
なんだかだいぶ、道徳的な文章になっちゃったけど
まあもうじき社会人だし。いいよね、別に(笑)